ぱーぷるわんこ

好きなものを好きなだけ。

Fünf Tage

2022年12月27日から2022年12月31日。
きっと何年経っても、この夢のような5日間のことを思い出すだろう。


24日の土曜日、Sexy Zoneがはじめて京セラドームに立つ姿を見届けた。もう出てきた瞬間に泣いて、メドレーで泣いて、4人の言葉に泣いて、ペンライトの色に泣いた。
帰宅してから25日にかけて、出会って8年になる人生のパートナーとゆっくりときを過ごした。この人と一緒にいられる幸せを噛みしめた。
26日の月曜日、3年ぶりに転勤前の職場に出張で、久しぶりに昔の上司や先輩たちに会えた。楽しくて楽しくてゆっくりしすぎて最終の新幹線を乗り過ごして夜行バスで帰宅した。
27日の昼休み、寝不足だなあと思いながら、残り2日で仕事が納まるかなあと心配しながら、数日で感じたそれぞれの幸せを噛み締めながら、いつものようにメールチェックをした。

「ファンクラブ会員の皆さまへお知らせ」

ああ、と。
そっちだったか、と思った。

すばるさんのことがあった4年半前から、「お知らせ」なんて言葉はもう見たくないと思っていて。でも、聡ちゃんのことがあった2年半前から、ずっと楽しみにもしていた。

ただ、マリウスが戻ってくるとしたら、大学を卒業したタイミングだと思っていた。
それが日本の大学なのか外国の大学なのかは分からなかったけれど、少なくとも12月のこのタイミングで戻ってくるわけがないと思っていた。
いまこのとき、見たい言葉ではなかった。

開いたその先には、「Sexy Zoneを卒業」「ジャニーズ事務所を退所」という言葉が並んでいた。
そうだよね。だって、この時期だもんね。
そう思いながら、ランチを食べながら、あふれ出る涙を抑えられなかった。
マリウスからの言葉は愛にあふれていて、それはわたしが想像していたとおりの、いやそれ以上に大人になったマリウスの言葉で、いつの間にこんなにきれいな日本語が書けるようになったんだろうと思った。

ドームに5人で立ってほしかった。くやしい、と思った。
最後に5人の楽しそうな姿を見たかった。かなしい、と思った。
クリスマスパーティー、5人だったらよかったのに、と思った。

Twitterを開いたらそこには動揺するタイムラインがあって、4年半前と同じだなあと思った。
その中に、Sexy Zoneがインスタグラムを始めたという投稿があった。
待ちわびていたそれが嬉しくて、4人だと思っていたクリスマスパーティーに実は5人いたことがまた嬉しくて、また泣いた。

残り15分しかない昼休みだったけれど、見られるところまで見ようと思って、JFCの動画を開いた。
そこには、2年前と同じ5人がいた。
ずっとずっと待ち望んでいた5人がそこにいた。
マリウスはていねいにていねいに言葉を紡いで、昔みたいにお兄ちゃんたちがその言葉をフォローしていて、でもその数はずっと昔より少なくなって。
あの小さかったマリちゃんが、いつの間にこんなに大きくなったんだろうなんて、2年前にも思ったことをまた思った。

動画を途中まで見て仕事に戻ろうとして開いたTwitterで、インスタライブをやっていたことを知って。
5人で旅に出ていることを知って。
夜にまたインスタライブをやることを知って。

待って待ってと。
まだ飲み込めないよと。
とにかく訳も分からないまま21時半までに帰宅してご飯を食べ終えないといけないことだけ理解して。
仕事納まらないなあと思いながら退社して。

アーカイブが上がらないからとTwitterで上げてくれていたインライ動画を見て泣きながら帰宅して。
ご飯を食べて、インライが始まる前にJFC動画を見ながらまた泣いて。
21時半と言いながら遅れて始まったインスタライブを見て、笑って、泣きながら笑って。

ドームに5人で立ってたんじゃん、と思って。
最後に5人の楽しそうな姿をこんなに見れるんじゃん、と思って。
クリスマスパーティー、しっかりプレゼント交換までしちゃってさすがだな、と思って。

ああそうだった。Sexy Zoneってそうだった。
優等生に見えて、実は自分たちのやりたいことは譲らない人たちだった。
自分たちのやりたいことをワガママにしないために筋を通して、自分たちの夢を叶えるために努力と我慢を惜しまない人たちだった。
誰よりも窮屈なところで、収まりきらないぐらいの自由を表現する人たちだった。
道のない王道を、傷つきながらかき分けながら、まっすぐにまっすぐに進んできた人たちだった。


思えばわたしがSexy Zoneに出会ったのは十年前。
Sexy Zoneがようやくデビュー1周年を迎えるというころ。
あのころはまだ、声変わり後で安定した声が出せなかったセンターと、5人の中ではすっかり大人に見えた十代だった2人と、きれいな高音を歌い上げる子供だった2人と。

当時の自分のTwitterを見てみたら、2012年11月17日、発売されたばかりのファーストアルバムを買っていて。
十年後が楽しみだなあと言っていた。

遡ってみると自分の記憶なんてあいまいなもので、はじめて5人の姿を生で見たのは2013年2月の神戸の握手会だと思っていたのに、どうやらわたしは2013年1月2日の大阪城ホールに行っていたようで。
けんけんとっと、けんとっと
みんなぼくに、ハマリウス
18歳の健人と12歳のマリウスに、そのC&Rができたことを喜んでいた。
十年後の今日、マリウスのそのC&Rを思い出して泣く日がくるなんて、思わなかったね。

5人を知ることが楽しくて仕方なくて、十年後にどんな成長した姿が見られるんだろうかなんて、あのころは十年後をあんなに遠い未来だと思ってた。

この十年、本当にたくさんのことがあったね。
5人のステージで歌ったララリラに、バラバラにならないかと心配したこともあった。
シングルを出す度にどんどん衣装に差が出て、5人のSexy Zoneがなくなってしまうんじゃないかと不安になったりして。
3人体制になります、メンバー流動制になりますなんて言われて、聡ちゃんやマリちゃんはどう感じたんだろうと心配した。
カラフルEYESで5人に戻ったときは、わたしの人生史上一番金欠だった時代だったけれど、それでもなんとかCDを買うお金を捻出して。
5人に戻って迎えられた5周年、まだまだ振り返る時期じゃないなんて言葉を頼もしく感じた。
5人になったら売れるぞ!と思っていたのに、こんなに最高の5人がそこにいるのに、期待どおりに数字はついてこなくて、もう若手でもなくなっていくことに焦って。
それでも思っていたよりもずっと早く、ひとつの目標だった24時間テレビを任されて、大きくなった5人に安心して。
聡ちゃんがお休みして、大丈夫だろうかと心配で、それに気付かなかったことが悲しくて、名前を出さない4人に、もう5人に戻れないんじゃないかと不安にもなった。
けれど、1年9か月のお休みを経て戻ってきた聡ちゃんにほっとして、5人のRUNとノッファに、最強の5人だって改めて確信した。
マリちゃんがお休みすることになって、たくさん心配して、それでも今度はマリウスの名前をたくさん出してくれる4人に安心もして。
ずっとずっと、心配ばっかりしてた。
5人でいられるかな、健康でいてくれるかな、国民的アイドルになる未来まで本当に辿り着けるのかな。
ずっとずっと、わたしにとってSexy Zoneを応援することって、心配することと同義だったかもしれない。

でもね。
最後の5日間、こんなにたくさん泣いて、こんなにさみしくて仕方なかったのに。
不思議なものだね。心配なんて本当に、これっぽっちもなかったんだ。

外野の声の入りづらいこんな年の瀬にあえて発表したことも。
5人でドームに立つって夢を実は叶えちゃってたことも。
ドームでのセクベアちゃんの声がマリちゃんだったことでわたしたちにも5人のドームを味わわせてくれてたことも。
ドームで歌った歌声もオレンジ色のペンライトもマリちゃんにしっかり届いていたと教えてくれたことも。
たくさんの関係者が知っていただろうに、どこからもそれが漏れなかったことも。
このタイミングでインスタ開設して、しっかり数字だって大事にしていることも。
時間があればインライしてファンと最後まで近くにいようとしてくれることも。
垢バンぎりぎりのセクシールーレットなんて自由を放り込んでくることも。
マリちゃんがお休みしていた2年のことを楽しそうに5人で話していることも。
いまマリウスが進もうとしている道を、勉強の内容をしっかり教えてくれることも。
たくさんの写真と動画でいつだって笑顔にしてくれることも。
5人がお互いへの愛を、信頼を、包み隠さず、言葉を尽くして教えてくれることも。
わたしたちがまだ受け入れられないのもさみしく思うのも分かってくれることも。
どれだけ5人で話し合ったのか、その言葉で、態度で、表現してくれることも。
行く道が分かれたって、一生、5人でSexy Zoneだって言ってくれることも。

そのどれもが、ひとつひとつが、5人のこれまで歩んできた道で、培ってきた成果だった。
愛にあふれたそのすべてが、きちんとエンターテインメントとして完成されていて。
5人を望んでも与えられなかったあの時代、ただ5人を表すことすら難しかった。
きっと抗えないたくさんの理不尽を経験してきたあなたたちが、こうやって、全面に愛を表現していい場所まできたんだね。

ねえ、大人になったね。
いつの間に、こんなにも頼もしくなったんだろう。
心配なんて、もうしなくていいんだね。


これから、Sexy Zoneは国民的アイドルになるだろう。
マリウスも、マリウスの進むべき道で、行きたい道で、世界中を幸せにする人になるだろう。
それは、今までよりもずっとずっと強い、確信。

11歳のときに、震災で傷ついた日本の人を幸せにしたいと願って、ドイツから飛行機に乗ってやってきた少年が、4人のお兄ちゃんに出会って、すくすくと成長して、たくさんの人を幸せにして、そうして22歳になった今、世界中の困った人たちを幸せにするために飛び立っていく。
なんてきれいな物語なんだろう。

でもね、たくさんのしんどいことがあっただろうに、それをきれいな物語にできたのは、全力で頑張っていたあなたたちがいたからだね。
その物語をほんの少しでも、一緒に彩ることができて、幸せだよ。


ありがとう。
マリちゃんに伝えたい言葉はなんだろうと、たくさんたくさん考えた。
でもね、やっぱり出てくるのはこの言葉だった。
ありがとう。
日本に来てくれてありがとう。
ジャニーズに入ってくれてありがとう。
Sexy Zoneになってくれてありがとう。
愛をたくさん伝えてくれてありがとう。
不安やさみしさを伝えてくれてありがとう。
これからも5人だって言ってくれてありがとう。
Auf Wiedersehen またね、って言ってくれてありがとう。
あなたを、あなたたちを好きになれてよかった。

これは別れだけれど、悲しいものではなくて。
新たな門出で、旅立ちで、きっと喜ばしいことで。
今はさみしくてさみしくてさみしくてさみしくてさみしくて、仕方ないけれど。
少しでも気を抜いたら泣いちゃうし、涙はとめどなくあふれてくるけれど。
でも、こんなに晴れやかな気持ちで送り出せることがうれしい。

Congratulations がんばれ
Congratulations 幸あれ

Dream

それじゃ何も
Don't wanna cry
知りたくないよ
 
風磨がアリーナを、ドームを、オレンジ色に染めさせたこの曲の意味は、きっと、ずっとずっと前に知っていた。
でも、知りたくなかった。
 
わたしは英語にうとくて、Don't wanna cryの意味は、「泣かないで」かと思ってた。
でもさ、マリちゃんを家に呼んでデモを聞かせた風磨の真意が知りたくて、今更に調べて知った。
「泣きたくない」
そうだね。泣きたくない。
この夢のようなひとときが、終わってしまうなんて思いたくない。
 
でもね、本当は気付いてたよ。
この歌が別れの歌だって。いや、旅立ちの歌だって。
 
繋いだままで
いれたらいいね
何度離れ離れになっても
慣れない世界で君を見つけて
それだけで何もいらないでしょう
 
これを4人のお兄ちゃんたちが歌いながら、あんなにきれいにオレンジ色に染まった会場を、マリウスが見てくれていたなら、もうね、それは夢だって構わないんじゃないかと思う。
 
マリちゃんがSexyZoneを卒業することを知って、報告動画を見ながら昼休み中に人目もはばからずに泣いて、仕事を終わらせて、インスタを見ながら息が苦しくなるぐらいに泣いて、インライを見て泣きながら笑って、怒涛のインスタ更新に笑って、笑って、あのころの写真を見て懐かしんで、セクラバの想いに浸って、ただひたすら幸せにあふれた5人を感じて。
 
マリウスがパラデル漫画で描いたあの東京ドームに5人で立ったこと。
ドームで聞いたセクベアの声がマリウスだったこと。
5人で旅をして、たくさん笑って、たくさん泣いたこと。
聞かせてくれてありがとう。
まだまだ5人を見れる楽しみをくれてありがとう。
寂しさを伝えてくれてありがとう。
これからも5人だと表してくれてありがとう。
 
夢がこのまま終わらなければいいのにと思う。
明日なんて来なければいいと。
年なんて明けなければいいと。
ずっとずっと5人を見ていたいと、願ってしまう。
 
でも、笑うよ。笑って送り出すよ。
さよならじゃないって、あなたが言ってくれるから。
5人のラストステージ、楽しみにしています。
 
Auf Wiedersehen
Mein Liebling

 

唐突な別れに願いを込めて

仕事終わりにメールを見た。
SexyZoneファンクラブとジャニーズジュニア情報局のメールの次に、関ジャニ∞ファンクラブからのメールがあった。

「ファンの皆さまへお知らせ」

既視感があった。
怖かった。亮ちゃんのことを騒ぎ立てる記事が脳裏に浮かんだ。
Twitterを開いた。悲痛でポエミーなタイムラインに、亮ちゃん退所の文字が混ざっていた。

怖かった。すばるさんのときのあの会見がチラついた。動画を見ることができないまま、その動画に亮ちゃんがいないことを知った。
ああ、だから、ライブDVDがあんなに早くに出るんだ、とか。
ああ、だから、亮ちゃんが脱退を匂わせるような言動をひとつもしていないのに何度も記事が出続けたんだ、とか。
ああ、ライブが終わるまで、そして昨日のジャニーさんのお別れ会まで、待ってたんだ、とか。
無駄に冷静に、そんな状況証拠だけが、意識もしないのに駆け巡った。
すばるさんのときとは、正反対だった。

すばるさんのとき、直前に記事が出た。記事の内容は、後から思い返しても、すばるさんが辞めるというたった一点を除いてデタラメで、そんなデタラメな記事を私は笑い飛ばしていた。
メールを見たとき、すばるさんの退所を知ったとき、落差に頭がおかしくなるんじゃないかと思うぐらいの衝撃があった。何も考えられなかった。なんで?嘘でしょ?あの記事のどこに正解があったの?
信じる理由は何ひとつなかった。状況証拠も少しだってなかった。その代わり、7人の、(やすくんはいなかったけれど、気持ちとしては7人の、)会見があった。
退所の理由なんて、想像もつかないものだった。想像もつかなかったのに、知ってたことだった。
すばるさんの退所の理由は、今まで見てきたすばるさんそのものだった。ただただ、すばるさんは一度もブレず、全てをさらけ出してくれていて、それでも関ジャニ∞を切り捨てなければいけないのだと理解出来てしまった。

亮ちゃんの、退所について。何ヶ月も前から、いくつもいくつも、記事が出た。すばるさんがいなくなって、センターを引き継いで、関ジャニ∞を心から愛している錦戸亮がそこにいた。何ひとつ退所に繋がるものなんて想像させなかった。私の見てきた錦戸亮が、退所を選ぶ理由なんて全く見つからなかった。
なのに、すばるさんと違って、状況がこれは間違いないんだと言っていた。
亮ちゃんのレンジャー日記を思い出した。つい最近のライブレポを思い出した。
関係ないかもしれないのに、関係あるかもしれないと、思ってしまった。

動画を見た。5人しかいなかった。
やすくんちっちゃいなって思った。ひなちゃんもちっちゃいんだなって思った。7人のときは思わなかったのに。6人のときも、思わなかったのに。
大倉がたくさん喋っていた。大倉が未来の話をしてくれていた。きっと、亮ちゃんと同じく記事が出ていた大倉が、俺は残るよ、としっかり伝えてくれたのだなと思った。
5人は穏やかだった。無理にテンションを高くしていたのかもしれないけれど、それでも、5人は穏やかだった。あの会見のときみたいに、涙や感情でぐちゃぐちゃになった彼らはどこにもいなかった。

亮ちゃんのコメントを見た。
短かった。
亮ちゃんらしいなって、思った。思ってしまった。
すばるさんとは違う。亮ちゃんが退所する理由、何ひとつ想像できない。多分知らない。
亮ちゃんは、多くを語るようで、全く見せない人だ。
自分を飾らない人だ。自分に正直な人だ。誰かによく思われたいとか、誰かに嫌われたくないとか、そういうのが行動原理の最初には来ない人だ。
亮ちゃんには亮ちゃんの中のポリシーがあって、それを理解できない人がいることを知っている人だ。相容れない人とは分かり合えなくてもいいと思える人だ。
そんな亮ちゃんだからこそ、何も語らないのは当然に思えた。
亮ちゃんが本当に辞めたい気持ちなんて、多分、私は一生理解できない。すばるさんが辞めたい気持ちを知って、辞めなければすばるさんの夢は叶わないのだと理解して、それでも、何故辞めたかったのか今でも理解できないように。亮ちゃんが辞めたい理由は、きっと亮ちゃんだけのものだ。そして亮ちゃんは、それを誰かに理解してほしいとは、きっと思わない人だ。
亮ちゃんが説明しない人なんだとは思わない。大切な人に、言葉を尽くしてくれる人だと思う。メンバーに、ファンに、心を、言葉を尽くしてくれる人だ。
けれど、何故辞めたいのか、それはきっとひとつの理由なんかではなくて、たくさん、多くの出来事の積み重ねもきっとあって、少ない言葉で説明できるものなんかでもきっとなくて。
それなら、誤解される言葉を連ねるよりは、ただあっさりと、感謝と別れを伝えたい。私の思う錦戸亮は、そんな人だ。
すばるさんみたいに、納得なんて全くさせてくれないのに、理由なんてどこにも何ひとつ記載されていないのに、「亮ちゃんらしい」と思ってしまった。それだけで、私の負けだ。
亮ちゃんは亮ちゃんらしく去っていく。それなら、私はただ、見送るしかない。それがどんなにさみしくとも。

関ジャニ∞のコメントを読んだ。
長かった。
いつだってファンと向き合おうとしてくれる、彼ららしいなと思った。
やすくんの身体のことについて書かれていた。
「亮ちゃんが辞めるのはやすくんのせい」
そんなことを言いたいわけじゃないのは分かっていた。
違和感があったと同時に、ここであえてそれを書こうとするほど、やすくんの身体のことは、彼らにとって大きい出来事だったのだと、ようやく気付いた。
やすくんはすごくて、ファンの前では痛みなんて全く感じていないような顔をして。脳腫瘍なんて、もうすっかりなかったかのように笑う。ライブもやって、舞台も決まって。なんだ、思ったより悪いわけじゃないのかもしれない。そう思っていて。
けれど、そうじゃないんだ。
「全員がそれぞれの人生を改めて考える」こととなるくらい。
明日、死ぬかもしれないと、人生なんて短いかもしれないと、リアルに、彼らが感じるほどに。
すばるさんは去るときに言った。
「人生半分」と。
この短い人生で、すばるさんが残りの半分を自分のために使うと決意したように。
残りの人生を、何に使うのか。使いたいのか。誰かのためじゃなく、ファンのためでも、メンバーのためでもなく、自分のために、どうしたいのか。
きっと、全員が考えたんだろう。やすくんだけじゃなくて、亮ちゃんだけじゃなくて、全員が。
すばるさんのときは、「関ジャニ∞で居続けなければいけない」と思っていただろう6人がきっと、「関ジャニ∞ではない人生」という道があるのだと、気付いてしまった。
関ジャニ∞で居続ける人生と、関ジャニ∞でなくなる人生の選択肢があったとき、後者を選ぶことを誰が責められるだろう。
ジャニーズでいること、アイドルでいること、それによって得られるものはきっと多くあって。けれど、ジャニーズでいること、アイドルでいることが足枷になることはどれほど多いだろう。失うものは、失ってきたものは、どんなに大きいだろう。
ジャニーズであることで、許されない自由。ジャニーズであることで、認められない努力。何を言っても叩かれて、何をしても記事にされて。ジャニーズだから何でもできて当然なのに、ジャニーズだから何をしても一流にはなれない。
誰よりも器用で、誰よりも努力家で、誰よりも自分に正直で、誰よりもすばるさんの才能に憧れた、亮ちゃんがジャニーズを辞める道を選んだとして。それを、誰が責められるだろう。
亮ちゃんも、5人も、考えたんだろう。考えて、話し合って、関ジャニ∞でなくなる人生を選ぼうとする気持ちを、5人はきっと理解できるんだろう。
だから、すばるさんのときのように引き留めない。この日が来なければよかったと、言ってくれない。引き留めるべきではないと、少なくともファンの前で引き留めるような言動をすべきでないと、5人が考えているから。
各メンバーの思い描いている将来や価値観や方向性が、どう違っていたのか、きっと教えてはくれない。ファンと楽しみ続けることを選んだ5人が、それを壊すとは思えない。聞いたほうがよかったなんてことも、きっとない。
ただ、錦戸亮が、関ジャニ∞でなくなる人生を選んだ。ただそれだけが、痛いくらいの真実だ。

関ジャニ∞で居続ける人生と、関ジャニ∞でなくなる人生と。ふたつの道があったとして。亮ちゃんだけが、そちらの道を選んだことは、不思議とすとんと腑に落ちた。
いつだって、自分に忠実な人だ。誰かのための優しい嘘なんてつけない人だ。不器用なくらい真っ直ぐで、男気があって、好きなものを言い訳にしない人だ。関ジャニ∞を、言い訳にしない人だ。
その亮ちゃんが、もしも、関ジャニ∞を言い訳にしないといけないところにいるのなら。関ジャニ∞の中では、掴めない何かがあるのなら。関ジャニ∞でいる人生を後悔しないために、関ジャニ∞を辞めるのだろうと思った。
亮ちゃんが辞める理由なんて何ひとつ想像もつかなくて、それが音楽なのか演劇なのかそれともそれ以外の何かなのかも全然ひとつも分からなくて。それなのに、亮ちゃんらしいなあ、なんて思わせる亮ちゃんはズルい。なんにも教えてくれないのに、なんにも納得させてくれないのに、ただ結論だけ突きつけて颯爽と去っていく亮ちゃんはズルい。
けれど、そんな亮ちゃんだから好きだった。
毒舌でひねくれて恥ずかしがり屋で、そのくせ愛情深くて真っ直ぐでピュアで男気があって可愛くて、関ジャニ∞でよかった、と色んな雑誌で何度も零す、メンバーを愛してやまないあなただから好きだった。
これから亮ちゃんが歩んでいく道は1人で、もう傍に幼馴染のようなメンバーはいなくなるけれど。あなたの歩く道が、幸せなものであればいいと思う。

そして。関ジャニ∞で居続ける人生と、関ジャニ∞でなくなる人生と。ふたつの道があっただろうに。5人が関ジャニ∞を「続ける」と決めてくれたこと。なんて、切なく愛しく誇らしいことだろう。
外の仕事がありすぎるぐらいある村上さんが。身体が万全でないやすくんが。不器用で繊細なまるちゃんが。後輩の指導もして感じることも多いだろう横山さんと大倉さんが。
きっとこれまでみたいに、「関ジャニ∞で居続けなければならない」からではなく、「関ジャニ∞で居続けたい」と思って、続ける、を選択してくれたのだろう。
好きなアイドルが、アイドルでいてくれるのなんて、奇跡だ。
5人は、これからも奇跡をくれようとしている。
なんて幸せだろう。幸せすぎるくらいの幸せだ。

だから、すばるさんがいなくなってさみしいことも。亮ちゃんがいなくなってさみしいことも。高望みしすぎな私が、ただただ、誰を責めるでもなく、ただ、さみしいだけだ。
でも、ひとつだけ願うなら。頼むから、何十年か後でいいから。
イフオアのあのおじいちゃんみたいに、昔はアイドルやってんぞって言うようなヨボヨボのおじいちゃんになってからでいいから。
8人揃って、久しぶりやなあって言ってほしい。昔はこうやったなあ、楽しかったなあって言ってほしい。
そうなる日まで、誰ひとり欠けず、元気で、健康でいてほしい。
そんな勝手な願いを、いつか来る未来なんだって、信じさせてほしい。

亮ちゃんの入所した日に。あなたたちが、出会った日に。8人が、出会えたことに。感謝と願いを込めて。


足りないピース

PAGESコンに、行ってきました。

エコパアリーナ、スタンド2列、かなり近くでセクゾちゃんたちが見れました。
アルバムの予習もなんとか間に合ったし、すごく楽しかった。
ただ、なんだろう…なんかふっとどうしても、物足りないな、という気持ちがあって。
数日前のSixTONESライブが楽しすぎたからか?とか一瞬思ったんだけど違って。ああ一人足りないんだな、ってはじめて心から実感した。
4人のフォーメーションは綺麗で、歌割りも5よりは4のほうがわかりやすくて、ダンスも昔よりずっと揃うようになったし、ふまけんの絡みもあって、不満なんて何もないはずで、ただなんだろう、‬聡ちゃんがただそこにいるだけでときめいていた感覚に、はじめて気付いた。
言葉では言い表せない感覚。強いて言うならエモい、かな。聡ちゃんがいるとエモさを感じる。そんなことに、ライブに行って今更はじめて気付いた。

わたしがセクゾちゃんを好きな理由はふまけんシンメなんだけれど、そこに聡ちゃんがいないだけで、ふまけんの絡みがいくらあっても、バランスが崩れたような気分になった。

聡ちゃんの抜けた4人は、ひどく綺麗だった。4って、綺麗な数なんだなあと思う。だいたいの音楽は4の倍数拍子でできているし、会場は四角でステージも四角だ。髪の色も赤黄茶黒でとても見分けがつきやすくて、きっとはじめてSexy Zoneを見た人は4人のSexy Zoneを完成形のように思うだろう。
でも、違う。4人のSexy Zoneは、ぜんぜん違った。
わたしがセクゾちゃんをはじめて見たときに感じた、あの衝撃的な感動。ひどく惹き付けられる、ただずっと見ていたい感覚。あの感覚は、聡ちゃんがいてこそなんだなと、心の底から実感した。

思えば、はじめて彼らに生で会ったのは握手会で。
「紫のピアスをしてる人」だったかな。ファンから該当の人を探しに来て、ステージに連れていく役が聡マリだった。わたしのほうに来たのは聡ちゃんで、わたしも紫のピアスをしていたのでかなりアピールして、結局他の人を先に連れていかれてしまったのだけれど。落胆するどころじゃないぐらい、聡ちゃんがものすごくかっこよかったのを覚えている。もう、ひたすらかっこよかった。たしかあれはイケ化、と呼ばれ始めたころで、もうひたすら、ひたすら聡ちゃんのかっこよさにびっくりした覚えがある。正直なところ、その直後にあった全員との握手会よりも、近くを小走りで抜けていく聡ちゃんのかっこよさのほうが、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。

聡ちゃんの良さ自体が、テレビや画面を通すより、生のほうが伝わるのかもしれないなあと思う。
考えてみれば、前にライブに行ったあとも聡ちゃんイケメンだった、ばっかり言っていた気がする…。
聡ちゃんのよさって言葉では言い表しづらいのだけれど、きっと、Sexy Zoneのエモさが彼に詰まっている。聡ちゃんの芸術的なところがそうさせるのかもしれないし、単にもう生で見る聡ちゃんのオーラがすごいだけなのかもしれないけど、生で会うとき、いつも聡ちゃんのおかげでたくさんのときめきをもらっている気がする。

4人のSexy Zoneはとても、とても綺麗だったけれど、何かが物足りなかった。
聡ちゃんがいないんだなと思って、ピースのかけた4人、として見たら、とても、とても心に刺さるパフォーマンスになっていた。
エモい、を目指したという風磨はこれを計算していたんだろうか。どこにも5人のパフォーマンスはないのに、5人を感じることで完成する4人のパフォーマンスを。
なんて、わたしが勝手に感じただけなのだろうけれど。

4人で写った写真を撮っている誰かが、4人に駆け寄っていくシーン。アルバムのページに、いま聡ちゃんはいなくても、そこに聡ちゃんがいること。5人の音色を、と言ってくれたこと。その想いが、聡ちゃんを救うといいなと思う。
ゆっくり休んでほしいし、しっかり治してほしいし、それでも、聡ちゃんのいない景色がこんなにも足りなかったから。ちゃんと帰ってきてね、とひたすら願う。

聡ちゃんのことが発表されたとき、セクゾちゃんのメンバー愛を疑ったことはこれっぽっちもなかったけれど、ちゃんと語り合えてなかったのかな、とはちょっとだけ思った。
いや、話し合いはたくさんしているだろうと思うんだけれど。本音が言えていない訳でもないと思うんだけれど。ただ、マリウスはまだ未成年だし、酒を言い訳にしないとできない話もたくさんあると思う。
聡ちゃんの病気は誰かのせいなんかでは絶対ないし、強いて言うなら聡ちゃんにプレッシャーを感じさせてしまった世間が一番悪いと思っているけれど、ただ、それでも聡ちゃんの心が悲鳴をあげる前に、誰かが大丈夫だよ、ってフォローできれば和らいだのではないかなとも思う。
いま、おやすみすることについては、個人的にはよかったと思っているけれど、今後復帰してやっていくときに、聡ちゃんが表に立ちながら休める場所は絶対必要で。できることならそれがメンバーであってほしいなあと思うし、そのためには、しっかりメンバー内でいろんなことをさらけ出し合ってほしいなと思う。
メンバーが、どんなことを思っているのか。メンバーが、どんなことに苦しんでいるのか。メンバーが、どんな風になりたいと思っているのか。それを、馬鹿にせず、真剣に、受け止めてほしい。そのために、腹割って、泣きながらグループの未来について語り合ってほしい。
何かに向けての話し合いとかじゃなくて。ただ、5人の未来について、どろどろもぐちゃぐちゃも全部全部さらけ出して、ただただ、本音にまみれてほしい。
そうしたら、きっと、Sexy Zoneは最強で最高のアイドルになると思うんだよね。それは、半ば確信のような。

Sexy Zoneは5人でなければいけないと、奇しくも4人のライブで思い知った。
4人が、聡ちゃんを愛していると、5人のSexy Zoneを大事に大事にしていると、4人のライブでひしひしと感じた。
ファンと一緒に幸せになりたい、きっと5人の目指す道は同じで。
あとは、5人の歩幅が揃うだけ。誰も置いていかないで、誰も先走ったりしないで、5人で進んでほしい。

いつか聡ちゃんが戻ってきたときに、5人の完成形のSexy Zoneで、アルバムを埋め尽くすことができますように。

SixTONESについて

タイトルでお分かりかと思いますが、SixTONESに落ちました。

YouTubeさんでMV見てからというもの、JAPONICA STYLEが頭から離れなくて、一人でいるときはひたすら頭の中でエンドレスリピート状態です。
リズムテンポのよさのせいか、仕事がめちゃくちゃはかどるのでとても良い効果です。歌詞にあんまり気を取られないタイプの曲なのもとてもいいのかもしれない。
仕事のお供にJAPONICA STYLE。
仕事関連で資格試験があったんですが、試験直前までYouTubeで過去映像を漁るようになったのは確実にあのMVのせいです。
でもお供にしたおかげで勉強がはかどったりもしたのでプラマイゼロです。
勉強のお供にもJAPONICA STYLE。

本当は、少クラで見ていたのでもともと曲は知ってたんですが、そんな好みな曲ではなかったんですよ。もともとは。どっちかというと、この星のHIKARIみたいにメロディライン分かりやすいやつが好みです。
なのに、MVを見終わったら、恐ろしいほど脳内エンドレスリピートしている自分に気づきました。
朝起きたら自然にJAPONICA STYLE。
仕事中でもふとした瞬間JAPONICA STYLE。
寝る瞬間、布団かぶってJAPONICA STYLE。
なんだろう、映像がひたすら綺麗で、何度も繰り返して見たからでしょうか。

もともと、バカレアあたりからJrの中では断然イチオシのグループなんですが、Jrはほんとガチで応援するのに覚悟がいると個人的に思っていて。デビュー組と違って、いつ解散させられてもおかしくなかったり、いつ一般人に戻っても分からなかったり、ちょっと推されたと思ったらハブられたり、後輩が先にデビューしたり。そういう覚悟が全くできないので、どれだけハマっても絶対に深入りはしないぞと思っていました。
でも、延々頭の中で曲が鳴るので、促されるようにJrチャンネルのSixTONESの動画を再確認し、バカレアの動画を見つけては再生し、見逃していた過去の動画を漁り、生ラジオの日にはスマホ片手にスタンバイして待ち、風磨ソロコンのSixTONESを確認し、気がついたらペイジーしてました。
崖っぷちでずっと、ずーっと踏ん張って頑張ってたのに、MVひとつで簡単に崖の下に突き落とされた気分です。
滝沢P、恐ろしい子…!

言ってしまえば、今でもJr担になる覚悟ができているとは言えないんだけれど、後悔はしてません。SixTONESちゃんたちの最近の盛り上がりは半端ないし、彼らはこの波をモノにしてくれると、信じさせてくれる。少なくとも、知らない間に消えたりしないと信じられる。そう思えるのが嬉しいし、彼らのすごいところだと思います。いまようやく彼らが乗ったこの波の一助になりたい。素直にそう思います。



ただ、これだけ波が来ているけれど、デビューできるとして、ほんとに今でいいのか。
運命がそれを阻まないか。
気になったときの算命学。
相変わらずの素人算命学ですが、簡単に調べてみました。


ひとまず日干支、主星、天中殺を並べてみます。
日干支の陰陽五行は日干のほうです。

髙地優吾 癸巳(水-) 鳳閣(火+) 午未天中殺
京本大我 癸亥(水-) 石門(木-) 子丑天中殺
田中樹 丁丑(火-) 鳳閣(火+) 申酉天中殺
松村北斗 庚辰(金+) 玉堂(水-) 申酉天中殺
ジェシー 乙卯(木-) 貫索(木+) 申酉天中殺
森本慎太郎 戊午(土+) 玉堂(水-) 子丑天中殺

パッと見て、バランスいいなーって感じです。ほんと。日干は五行が綺麗に揃い、主星は陰陽が同数で五行も水木火がどれも隣合っていて、綺麗に補い合ってる感があります。

気になる天中殺ですが、2018年は戌年。2019年は亥年
申酉天中殺が明けて、子丑に入るまでの二年間。
2018年と2019年、誰も天中殺が被っていません。
2018年にブームが来て、2019年にデビュー。そんな雰囲気があります。

天中殺でなくとも、他力運がそこまで高い時期でもないようで、今しかないぞ!という雰囲気でもなさそうなんですが。でもまあそもそも、SixTONESはもともと時流に流されるよりも、自力でひとつひとつ掴み取ってきたグループだろうなと思うので、そこまで他力運が必要ないのかもしれません。
普通のJrと比べて、良くも悪くも、あまりにもたくさんの経験をしてきた子たちだと思うし、どうにもならない障害も多いグループだと思います。だからこそ、他力運に頼りすぎない波を掴み取れたなら、それはあまりにも強い。ここをモノにしてほしいな、と素直に思います。

あと、主星と日干から簡単に相性を見てみると。

どちらも相生の関係になってるのは、
髙地とジェシー、大我と北斗、樹とジェシーの三組だけです。
きょもほく!!!!!仲良しじゃねーかよ!!!!!!
まあ相生イコール仲がいい、というのとは違うので、また別ですが。思わず。
髙地とジェシーは想像どおりというか、なんというか。
ちなみに髙地とジェシー、大我と北斗は互いに互いを活かしてるのに対し、樹とジェシーだとジェシーが完全に樹を活かす側です。意外だな〜。

逆にどちらも相剋の関係なのは、樹と北斗、髙地と慎太郎の二組。最年長最年少コンビと同級生コンビ。またもや意外です。

北斗と慎太郎推しのバカレアから始まって、北斗とジェシー推しを経ての、今のきょもジェ歌うまセンタースタイルだと思うんですが。この2人だけが、日干主星のどちらも相剋の関係の相手がいないだけでなく、全員と相生の関係も持っている、というのは、SixTONESちゃんたちの模索の結果なのかもしれないなあと思います。
一度バラバラになった6人を、ジェシーが引き止めたと聞くけれど、確かに、命式の上で、ジェシーが一番全員と相性がいいです。一人だけKYポイント高かったりするけど(笑)、ジェシーが間を取り持ってる部分は、結構大きいんじゃないかなあと思います。

SixTONESちゃんたちの命式を見て思ったのは、この子たちは運命に必死に抗って生きてきたのかなあということ。
運命というものは、味方につけるととても強力で、でも、運命に邪魔されると、とてもじゃないけど太刀打ちできない恐ろしいものです。
SixTONESちゃんたちのここ数年の他力運は、決して恵まれた流れにはいなくて、バカレアの2012年も、結成の2015年も、実はそれほど全体的に他力運が高いわけではありません。2015年は、髙地一人だけれど、天中殺被りすらある年です。
けれど、運命が流れをあまり阻まない時期、掻い潜るように集中して大きく羽ばたいているように感じます。
他力運より、自力運で生きていける。そんな力強さを感じます。

あとこれだけはどうしても言いたい。他力自力といえば、気になるのが、超絶気になるのが大我の子丑天中殺です。
お、おま、初代運じゃねーかよ…!
あれだけ偉大なパパを持ちながら、二世タレントとして羽ばたきそうな雰囲気出しながら、まさかの初代運。
子丑天中殺の人は、親から受け継いだ事業とかには向いてません。基本的には自力で切り開いていく開拓者が向いています。初代向きです。どうしても継がなきゃいけない跡取りの場合でも、親とは変わったことするとか、ある意味での「初代」らしさが、成功のために必要な要素です。
ジャニーズで、親も知らない未知の世界で、ある意味での初代らしさはあると思うので、まあ…大丈夫なのかな…とは思うんですが。
事務所への入所も確かコネではなく、自力なんですよね。あんまりパパの威光に頼ると、成功を妨げることにもなりかねないので、そこはしっかり、京本大我としての道を歩み続けてほしいです。パパも相当な子煩悩のようですが、そっと、見守ってあげてほしいですね。言われなくとも、という人たちな気もしますが。


セクゾちゃんより人数が多くて被りが少ないので、ひとつひとつの関係性や一人一人の命式を確かめるには時間がかかりそうです。ひとまずは抜粋としてここまでで。
言いたいこととしては、きょもしんが天中殺に入るまでに、2019年までに是非ともデビューを!させてほしい!
でも、現実にそうなりそうな気もして、ちょっと、いやだいぶ、わくわくしています。
がんばれSixTONES

「最後」を迎えて

渋谷すばるという人間を初めて知ったのはいつだっただろうか。

2009年1月のジャニ勉をたまたま見たとき、気になったのは村上さんとマルちゃんだった。
関ジャニ∞面白いな。気になって、調べていけばいくほど、ヨコヒナにハマった。
ヨコヒナの魅力を一番教えてくれたのは、すばるさんだった。
三馬鹿を知れば知るほど。関ジャニ∞を知れば知るほど、その真ん中に渋谷すばるという人間がいた。
人見知りで、ちっちゃいおっさんで、ファッションが好きで、笑いが好きで、下ネタが好きで、全然アイドルらしくなくて、でも誰よりアイドルで。
命を削って歌う、彼はいつもその中心にいた。
渋谷すばるの才能に、心の底から惚れている彼らを見るのがとても好きだった。

すばるさんが、いつかいなくなってしまうんじゃないか。
音楽が、いつかすばるさんを連れ去ってしまうんじゃないか。
思ったことなんて、まったくなかった。想像したことも、一度だってなかった。
全く、これっぽっちも、すばるさんのいない関ジャニ∞を思い描くことなんてできなかった。
なのに、すばるさんの会見を見たとき。「いつか来るような気がしていた」なんて、思ってしまった。
そんな気、してなかったのに。したこともなかったはずなのに。
すばるさんが音楽に命をかけていることを知っていた。
どれほど、音楽に、歌に、渋谷すばるが誠実であったか、知っていた。
知ってしまっていた。

関ジャニ∞にいてはだめなのかと、ジャニーズにいてはだめなのかと。休業ではだめなのか、ほかに方法はないのかと。思うことは全部、メンバーが聞いてくれていた。
どうしてもだめだと、答えたすばるさんは、今まで見てきたすばるさんだった。
テレビで、ライブで、ずっと見てきたすばるさんだった。

わたしがすばるさんにずっと抱いている印象は、とても「柔らかい」人だなあというものだ。
メンバーに対する接し方でも、その相手を傷つけないように。丁寧に、言葉を選ぶ人だ。
仕事に対しても、ひとつひとつ、とても繊細に、けれどとても自然に、ふわりとこなしていく人だ。
痛みや辛さを、なかったことにして押し流すのではなく、敵だと撥ねのけてしまうのではなく、そっと柔らかく、くるんでしまう人。
ただ、その「柔らかさ」は、関ジャニ∞にいてこそのものなのだろうと思う。
十代のころの、人気に翻弄されたすばるさんや、二十代前半の、とてもとがっていたというすばるさんを経て、関ジャニ∞の中でいたからこその柔らかさなのだろうなと。

地元が同じで、幼馴染のような、村上さん。
誰よりも友達で、ずっと傍にいる、横山さん。
心底すばるさんを尊敬し、後輩でいる、亮ちゃん。
二人の世界があって、ハマるときはハマる、マルちゃん。
センスが似ていて、何もかも大きく包み込む、ヤスくん。
すばるさんの背中を見続け、リズムを奏でた、おおくら。

すばるさんの痛みを、きっと最初は村上さんが拾い上げて。
すばるさんの目指すものを、メンバー全員で追いかけてきた。
すばるさんの柔らかさは、そうやって培ってきたのだろう。

すばるさんが行く道は茨の道だ。途方もない、茨の道だ。
きっと茨の先にしか、すばるさんが求めるものはないんだろう。
でも、茨の道って、きっと誰もは進めない。痛くて、傷ついて、心が壊れてしまう。
だからって、誰かとともに行こうとしても、茨は道を閉ざしてしまう。
その痛みも、傷も、全部ひとりで背負わないと、道の向こうには行かせてくれない。
音楽とはそういうものなんだろうなというのは、感じる。
でも、「柔らかさ」を持つすばるさんなら、ひとりでも、きっと進めるのだと思う。
痛みも傷も、ひとりで背負って、でも、痛みも傷もくるんでしまえるすばるさんなら。

すばるさんが、ジャニーズにいた21年全てで決断したと言ったことが、重かった。
ジャニーズにいて、関ジャニ∞にいて、だからこそすばるさんは、茨の道を進むことができてしまうのだろうと思ってしまった。

本音を言うのなら、茨の道なんて進んでほしくない。
大好きな人には、ずっと傷なんてないまま、笑っていてほしい。
7人で、笑っている姿を一生見ていたい。
でも、それはおそらく、渋谷すばるの望むところではない。
アイドルの服を脱ぎ捨てて、夢に向かって進もうとしている。
そんなすばるさんを、6人が応援すると決めている。
なら、応援するよって、言うしかないじゃないか。応援したいって、思ってしまうじゃないか。

すばるさんが、関ジャニ∞から離れると決まってから、今日まで。
7人は、とても丁寧に、ひとつひとつ、一滴の雫もこぼさないように、「最後」を迎えさせてくれたように思う。
関西のローカルも、関東のローカルも、まだ放送されていないので見ていないけれど、そのすべてを丁寧に、終わらせてきたのを知っている。
そして今日、関ジャムで、しっかり、リアルタイムで、「最後」を伝えてくれた。
それがあんまりにも丁寧で。もっと雑に、投げやりだったなら、信じないままでいられたのに、と思う。
たくさんの番組で歌ったひとつひとつの曲が、6人の関ジャニ∞とすばるさんの「これから」を痛いほど伝えてくれた。

「最後」の曲の中で、おそらく唯一、2度歌った曲。
LIFE~目の前の向こうへ~
この曲が発売されたときのことを、よく覚えている。
まだファンになってすぐ。関ジャニ∞がノリノリの曲から抜け出せないでいたころ。タイアップ曲もまだほとんどなくて。メンバーが主演のドラマの主題歌を歌うのが目標だった。
バラエティで、ロケにもたくさん行って。体を張る仕事が多くて。でも、レギュラーが増えて。
いつか、8人に戻れるかもしれない、そんな期待が、消せないでいたころ。
あのとき、この手の中にないあの日描いた夢だと思っていたものは、たくさん叶っている。
かっこいい曲もいっぱい出して、タイアップ曲だってたくさんできて、ドラマの主題歌を歌って、メンバーが月9の主役や映画の主演をやったりして。5大ドームツアーを何回もやって、バラエティで誰かを見ない日はなくなって、音楽フェスに出て、音楽番組でたくさんの人と共演して。
でも、「あの日描いた夢」はまだこの手の中にない。だって、彼らはいつだって、目の前の向こうを目指している。いまだって、ずっと目の前の向こうへ行こうとしている。
この曲が発売されたとき、今の彼らみたいだなって思った曲は、今なお、今の彼らみたいだなと思わせてくれる。
いつだって全力で、目の前の向こうを目指しているんだなあと、改めて感じる。
悲しみも涙も、渇かなくても。痛み堪えて、負けそうでも歩みを止めない。
「いつか笑えるはず」そう言って、終わらない道をずっと進んでる。
誰かの為じゃない、自分の為に生きると決めたすばるさんを、これからきっと見るたびに痛みはあるだろう。でも、その姿に微笑む日が来るだろうとも思う。
関ジャニ∞を失って、かけがえのないものを手に入れるすばるさんは、それでも一人じゃない。
一人なんかじゃない。
「あの日交わした約束をずっと覚えているから」
そう言って、大倉が、すばるさんを示した。
いつかすばるさんが成功して、一流のシンガーになったときに。関ジャニ∞と、共演してくれることを願っている。
まだまだ終わらないから。関ジャニ∞も、渋谷すばるも、ここからだから。

私とヨコヒナとラジオ

エイタメコンが千秋楽を迎えましたが、その大阪初日。公演の2日前にお友達にお誘いいただいて、私も急遽、ほんっと急遽いってきました。京セラと言えばスタンド、というほど今まで参戦したライブほぼ全てをスタンドで過ごしてきた私が、アリーナ最前列とかいう未だかつて経験したことがなく、今後おそらく一生ないであろう良席で7人のイケメンを拝見してまいりました。

(もしそれに関する何とやらを期待されて来られた方がいらしたらものすごく申し訳ないぐらいこれから関係ない話しかしませんので悪しからず!)

そしてなんでエイタメコンのことを持ち出したかって、そもそも今回ブログを書こうとした発端がそのMCのこと。
今度出演される魔法のレストラン(破門の宣伝だよ!関西の方は是非お忘れなく!)の話で、出した話題。横山さんが、「村上さんとやってたラジオ」って言ってた。「レコメン」って、言わなかった。
隣になーのさん担の友人がいて崩れ落ちたので、それを聞いたときはそれどころじゃなかったんですが。
なんか、リフレインする横山さんの言葉に、なんとも言えない感情でした。もう4年近くも経つのに、横山さんがレコメンを卒業すると告げられた、あのときの感覚が、まだうっすらと私の中で燻っていることに、気付いてしまった。
それはきっと、今後もずっと私の中で燻っている感情で。良いとか、悪いとか、そんな感情じゃないんです。でも、この感情がなんなのか、わからなくて。
そうだ、こういうときのためにブログってあるんじゃないの、っていう自己整理のために、いまこれを書いています。
自己整理、ということはつまるところ、たぶん誰も興味のないだろう自分的振り返り史です。自己満です。(ときどきフェイクは入れてます)


私が関ジャニ∞に出会ったのは、忘れもしない2009年1月21日(ほんとは日付変わって22日)。たまたま付けていたテレビで見た、ピーコさん回のジャニ勉でした。
そのころ私、受験でした。センター試験が終わって、模試でもとったことなかったぐらい、ものっすごく成績が悪くて、すっごい落ち込んで、どこ受けよう、ああつらい。そんな、センター直後の水曜日でした。日付が変わったから、木曜日か。ああ、あの日も木曜日だったんだなあ。
内容は正直覚えていません。ただ、その日前列は、のちに私が担当となる村上さんと、マルちゃんでした。
印象としては、村上くんと丸山くん、こんなに仲いいんだなー、という感じ。ボケのマルちゃんとツッコミの村上くん。芸人みたいな上手さだな、この2人はきっととても仲良しなんだろうな。そんな印象を持ちました。
ジャニーズに対する知識なんて、かつてKATーTUNのプチファンみたいなことをやっていたニワカジャニヲタもどきみたいな程度の、つまり単なるお茶の間程度の知識で、メンバーの名前がかろうじてみんな聞き覚えあるぞ、ぐらい。根っから大阪だいすき大阪人なので、好きやねんとおばロクをカラオケでよく歌っていたかな程度の好き、でした。
気になることは調べるタチの私。「関ジャニ 村上 丸山 仲良し」「関ジャニ 村上 仲良し」「関ジャニ 村上 トーク」調べるでしょ。まず、エイトさん話に頻繁に出てくるヒナって誰だよ、って。なりますよね。ニワカだもん。
最初、ヒナ、ってヤスくんとか、内さんのことなのかなとか思っていたんです。可愛い系だろって。すぐに知りました。村上さんのことだって。理由も。雛形あきこに似てる。雛形あきこに似てる…?????????
えっ…????????????
よーしここは理解できないけど多分昔は似てたんだろう。そんな感じで村上さんのこといろいろ調べてみました。丸山さんも同じぐらい気になってはいたんだけど、ヒナの衝撃強すぎて、あとちょうど村上さんの27歳の誕生日を迎えるころだったのもあって、とりあえず村上さん調べました。(ちなみにJr入所当時ほんとに似ていてひたすら可愛いことには後々気づく)

村上さんのことを調べると、びっくりしたんです。仲がいいんだろうなあという印象を受けたマルちゃんじゃなくて、山ほど「ヨコヒナ」というワードが出てきたから。
ヨコヒナって、なんだ。これが私の、“eighter”への入口でした。
レコメンってヤツを2人でやってるらしいぞ。なんだそれ。ラジオらしいぞ。ラジオなんか聞いたことねえぞ。文化放送って1134らしいぞ。合わせてみたぞ。聞こえねえぞ。聞こえねえぞ!
入口はそんな感じでした。ラジオなんて聞いたこともなかったもので、文化放送は関西では聞けないんだよ、ってことに気付くのにだいぶかかりました。
レコメンが聞けなかったので、毎週レポを読みました。ジャニ勉を観ました。過去のレポとかも漁りまくりました。だって分からなかったんです。古参のeighterさんがみんな口を揃えて、「ヨコヒナは特別」って言う理由が。
その頃にはおそらく、村上さんのMC術の虜でした。元々大阪人なのでトークの上手い人が好きでした。その中でも、無茶なトークを上手くまとめる名MCが好きだったので、エイトさんの中で村上さんに惚れてしまったのは当然だったのかもしれない。だから余計に、村上さんを知る上で、ヨコヒナの特別感を理解できないことが悔しくて、エイト史を、知れるだけ知ろうとしました。レポを漁り、動画を漁り、ライブDVDを買いました。
その頃のヨコヒナは、今よりもっとビジネスパートナーチックで、仲悪いのかよってぐらい、普段遊ぶどころか楽屋でも話すなんてなく、私の目に映る当時のヨコヒナからは、その特別感なんて欠片も見えなかった。普段はまるちゃん某後輩くんとずっと一緒にいて、すばるさんと時々幼馴染みみたいな雰囲気になって。ヨコヒナは、ただのビジネスパートナーのように見えていた。
それが見え始めたのは、過去を知ろうとしてから。過去のCDを聞き、DVDを見、たくさんの動画を漁り、たくさんのレポを読み。
そのころ既に干支一回り以上をともに過ごしていたヨコヒナ。関西Jrの不遇の中Jr黄金期を経て、その終わりを迎えて、松竹座時代を経験して、メンバーの脱退があって、ようやくグループ5周年を迎えたばかりの、彼らを知ってから。
調べ尽くせるだけ彼らを調べ尽くしてみたら、ヨコヒナが特別なのなんて、当然のことだった。それは、とても不思議な感覚でした。生身のアラサーの男同士なのに、「夫婦」と表すのが一番しっくりくるなんて、体験したことのない不思議な感覚。
とりたてて仲が良いわけではない。でもそれは決して仲が悪いことを意味しない。プライベートで一緒になんて全然いない。なのに誰よりもお互いを理解している。誰よりも村上さんを貶す横山さん。そのくせ誰よりも村上さんを認めている横山さん。レコメンやライブのMCでだけ、軽快にトークを交わす2人。そんな2人を、見て喜ぶ他のメンバー。
ヨコヒナの会話はまるで、熟年離婚の危機かと思っていた両親が、手を繋いで微笑むところを見たときのような。ヨコヒナのかつてのエピソードはまるで、何故結婚したのかも分からないほどドライな両親の、デートの話を聞いたような。

高校を卒業し、年度の変わる4月頃には、そんなヨコヒナの言いようのない魅力にとりつかれていました。
端的にヨコヒナの何が一番好きかと言えば、トークです。大して面白くもない話を、爆笑話に変えられる横山さんと、ともすればぐちゃぐちゃになりがちな爆笑話を、上手いこときれいにまとめられる村上さん。でも、その背後に見え隠れする、互いの信頼とそこに至るまでの歴史が、ヨコヒナの最たる魅力。知れば知るほど奥の深さが分からなくなる、その関係性にとりつかれてしまったんです。
そしてそのころ知った事実が、なんと我が家、KBS京都が、入る地域だということ。ちょうどレコメン全国放送3時間が流れ始めたばかりのKBS京都が、入るということ。文化放送1134じゃなく、KBS京都は1143でした。自宅のCDプレイヤー付属のラジオでは周波数が細かく設定できずほぼノイズしか聞こえなかったので、小型のラジオを買いました。
レコメンとの、出会いでした。
既にレコメンが始まってから6年弱、前身番組を含めるとそれ以上。2013年にレコメンを聞くのをやめるまでの年月より遥かに長い期間です。
私の知るレコメンの歴史は、たった4年でした。たった、4年です。
その間、たくさんのヨコヒナエピソードがあって。毎週聴ける村上さんの声は、横山さんの声は、いつも最前線の彼らを伝えていてくれて。ヨコヒナだけじゃない、グループみんなの素顔を、いつも曝け出していてくれて。毎週、毎週。生放送で、3時間。
そりゃ、私事で聴けない週もあったけれど。放送のない週も稀にあったし、インフルエンザで録音とバレた週もあったし。でも、ほぼ毎週、生放送で、3時間。
何事も飽き性で続かない私が、毎週毎週、ヨコヒナのトーク術のすごさと、ヨコヒナの特別感を聴き続けた4年だった。
それが、無くなるとき。盛大な卒業式なんてなかった。ひなさんの声が、少し震えていた。ヨコさんは、何も悲しいことはないと言うように、卒業していった。あまりに唐突だった。
私がそのとき感じた感情を何というのか、今でも分かりません。ただ、聞いたときは涙が出なかった。理解が追いつかないというのはこういうことかと、ふと思った。
悲しいといえば、悲しかったのかもしれない。もうレコメンにヨコさんが戻ってこないことが。悔しいといえば、悔しかったのかもしれない。卒業の理由を決して明かしてくれなかったことが。寂しいといえば、寂しかったのかもしれない。終わりのたった5分で見送るしかなかったことが。でも嬉しいといえば、嬉しかったのかもしれない。ヨコさんがこれで終わりじゃないと言ったことではなくて。ひなさんの声が、震えていたことが。ヨコヒナにとって木曜日の夜は特別な場所だったと、村上さんが押し殺すことができない程感じていたことが。私が勝手に感じていたその特別を、ほんの少し本当に垣間見ることができたことが。
次の週の木曜日、もう大丈夫だぞ何回も新しいレコメンシミュレーションしたぞ、とラジオをつけた。オープニングトークも終わらないうちに、ラジオを消した。
マルちゃんは大好きで。私の中のエイトさんとの出会いは、マルちゃんとひなちゃんの仲良しそうなところだったのに。レコメンという場に、ヨコさんがいないことが、耐えられなかった。それから私は、たった2回しかレコメンを聞いていない。
一度聞いたのは、何の変哲もない普通の日。いつだったのかも覚えていない。ただ、ヨコさんの卒業からしばらく経って、最後まで聞くぞ、と思って聞いた。最後まで聞いて、ああもう二度と聞けないな、と思った。最初から最後まで、横山さんのいたころと比較してしまったから。それは、卒業した横山さんにも、新しく頑張っている丸山さんにも、引き継いだ村上さんにも失礼だと思ったから。ただ、村上さんの声はもう前向きだった。マルヒナのレコメンが、そこにはあった。それは嬉しくて、なのにそれを今後聞けないだろう自分が寂しかった。
二度目に聞いたのは、レコメン、京セラ収録。収録日、なんと当たって、私は京セラにいた。(ちなみに今回のライブはそれ以来の京セラだった)
淡い期待があった。レコメンは、ヨコヒナの番組に戻るんじゃないのって。そんな期待抱いているほうが馬鹿なのに。ヨコさんが卒業と言ったのだから、戻るはずなどないのに。そんなこと、知っていたはずなのに。
全員の揃ったレコメンは、楽しかった。ただ、ヨコさんだけが、いつもと違う雰囲気だった。楽しくて楽しくて楽しくて、もう二度と戻らない祭りのあとの余韻のようだった。
その後は、一度もレコメンを聴いていない。村上担なのにね。聴きたくないわけじゃないんだけどね。レポなら読んだりするんだけどね。ただ、レコメンというタイトルコールに、横山さんが入っていないと気付く瞬間、指がシャットアウトすることを知っているから。

ヨコヒナのレコメンが終わってから。それまで毎週録画して視聴していたヒルナンデスも、なんとなく、見ることが少なくなりました。
木曜日なのにこの後ヨコさんはレコメンに行かないんだなあと思うことがなんだか、もやもやした。時々、リアルタイムで見れるときに見るぐらいになった。
そしてそれもまた、村上さんがヒルナンデスを卒業することで、全く、見なくなった。
村上さんの卒業回は、勇気が出なくて録画したまま一度も見ていません。編集もしていないから、まだテレビのデッキに残ったまま。
木曜日が本当に、「週の始まり」じゃなくなってしまった。

ヨコヒナのレコメンが、終わってもう4年。
私がレコメンを聞いていた期間を超えようとしている。
本人達がとっくの昔に前に進んでいるそれを、どうしてか受け入れられないなんて、ファンとしては失格かなあとも、何度も思う。だから、時間が解決してくれるまで蓋をした。何がつらいと思っているのか、何が悲しいと思っているのかも把握できないから、いつか振り返ることが出来るまで、と。

今回こうして、ヨコさんの言葉を、聞いて。
あれから4年。私の中のレコメンの時間を超えようとしている、木曜日。
振り返ることができるかな、と思って振り返ってみると。今もあのときの痛みは消えていなくて、それでも、思い出すことで涙は出なくなった。
燻った感情が何なのかは、まだはっきり分からない。けれど、あのとき感じた痛みは、悲しくて、悔しくて、寂しくて、そして少し切ない嬉しさだったこと。
はっきりとは言いきれないけれど、この感情に名前をつけるなら、やはりこれは、愛おしさ、なのだと思う。
私が出会った「ヨコヒナのレコメン」への、愛おしさ。
それはきっとただの執着心で、本人達はもっと前に進んでいて、ただの迷惑なのかもしれないけれど。
ヨコさんが「レコメン」と言わなかったことを、心の中で咀嚼すると、目頭が少し熱くなる。ヨコさんの中では、他の人に引き継いだ「レコメン」としての認識ではなく、もうとっくに終わった「村上さんとやってたラジオ」だったのだなあと。
そう思うと、なんだか少しだけ、心の蓋を開けてもいいような気がする。私が愛おしさを感じる「ヨコヒナのレコメン」は、他の人に引き継がれたのではなく。ヨコさんは、ちゃんとあのときに、「ヨコヒナのラジオ」を終わらせてきたんだな、と。
ああ、もしかすると私は、「ヨコヒナのラジオ」が踏みにじられたような気がしていたのかもしれない。ヨコさんもヒナさんもレコメンのスタッフさんも後を引き継いだマルちゃんもBADの2人も大好きで、だから気付かなかったけれど。
私の中の「ヨコヒナのラジオ」は本当になんとも言えない特別なもので、それを、誰かが引き継げるはずもないのに引き継いでしまったから。「続き」なんかではないはずなのに、「続き」になってしまったから。
「ヨコヒナのラジオ」を踏みにじられたような、そんな気がしてしまっていただけなのかな。

あれから私はレコメンを聞いていないから、人伝だけれど。ヒナさんは、レコメンで一度も「こんばんワンツー」と言っていないと聞く。
ヨコさんは、「村上さんとやってたラジオ」と言う。
ああ、もしかするとヨコヒナ自身も、「続き」だとは思っていなかったのかな。ちゃんと、「ヨコヒナのラジオ」をあのときに終わらせてきていたのかな。だから、声の震えていたヒナさんも、とっくに前を向いていたのかな。
思い出しても涙は出なかったのに、そう考えると、涙が出てきた自分が笑えます。
私はただ、私が愛おしいと思った「ヨコヒナのラジオ」が特別だったと言ってほしかっただけなのかな。ヨコヒナにとって「ヨコヒナのラジオ」は特別だったと、思ってほしかっただけなのかな。
ヨコヒナの気持ちなんて、私たちにはわかるはずもなくて。それでも、ヨコヒナってなんだかやっぱり特別だなあと思う。その根底には、かつての「ヨコヒナのラジオ」があったなあとも。

ヨコさんの言葉の何が引っかかったのか分からなくて、とりとめもなく振り返ってみたけれど、振り返ってよかったなあと思う。ただの自己整理でしかなくて、人に見せるものではないのかもしれないけれど。
今の私は、もしかすると、今のレコメンを聞いても大丈夫かもしれない。指が勝手に停止ボタンを押すことも、ないかもしれない。
そうだなあ。やっと、あの日のレコメンを、受け入れられているのかもしれない。
この気持ちを、やっぱりどこかに記しておきたいなと思う。ブログって、便利だな。

もうすぐ、ジャニ勉の2/∞で、ヨコヒナロケがあって。
もうすぐ、月曜から夜ふかしに、ヨコさんがゲストで来る回があって。
出会ったころに26歳だった村上さんは、もうすぐ35歳の誕生日を迎える。
今のヨコヒナの形は、あのころからはだいぶ変わっていて。今のエイトさんの形も、ヨコさんも、ヒナさんも、あのときとは変わった。
あのときからずっと燻り続けていたあの感情が、一気になくなることはないけれど。今の彼らをしっかり目に焼き付けておこうと、今一度改めて思う。
そう思えるようになった。それが、ちょっと嬉しい。