ぱーぷるわんこ

好きなものを好きなだけ。

私とヨコヒナとラジオ

エイタメコンが千秋楽を迎えましたが、その大阪初日。公演の2日前にお友達にお誘いいただいて、私も急遽、ほんっと急遽いってきました。京セラと言えばスタンド、というほど今まで参戦したライブほぼ全てをスタンドで過ごしてきた私が、アリーナ最前列とかいう未だかつて経験したことがなく、今後おそらく一生ないであろう良席で7人のイケメンを拝見してまいりました。

(もしそれに関する何とやらを期待されて来られた方がいらしたらものすごく申し訳ないぐらいこれから関係ない話しかしませんので悪しからず!)

そしてなんでエイタメコンのことを持ち出したかって、そもそも今回ブログを書こうとした発端がそのMCのこと。
今度出演される魔法のレストラン(破門の宣伝だよ!関西の方は是非お忘れなく!)の話で、出した話題。横山さんが、「村上さんとやってたラジオ」って言ってた。「レコメン」って、言わなかった。
隣になーのさん担の友人がいて崩れ落ちたので、それを聞いたときはそれどころじゃなかったんですが。
なんか、リフレインする横山さんの言葉に、なんとも言えない感情でした。もう4年近くも経つのに、横山さんがレコメンを卒業すると告げられた、あのときの感覚が、まだうっすらと私の中で燻っていることに、気付いてしまった。
それはきっと、今後もずっと私の中で燻っている感情で。良いとか、悪いとか、そんな感情じゃないんです。でも、この感情がなんなのか、わからなくて。
そうだ、こういうときのためにブログってあるんじゃないの、っていう自己整理のために、いまこれを書いています。
自己整理、ということはつまるところ、たぶん誰も興味のないだろう自分的振り返り史です。自己満です。(ときどきフェイクは入れてます)


私が関ジャニ∞に出会ったのは、忘れもしない2009年1月21日(ほんとは日付変わって22日)。たまたま付けていたテレビで見た、ピーコさん回のジャニ勉でした。
そのころ私、受験でした。センター試験が終わって、模試でもとったことなかったぐらい、ものっすごく成績が悪くて、すっごい落ち込んで、どこ受けよう、ああつらい。そんな、センター直後の水曜日でした。日付が変わったから、木曜日か。ああ、あの日も木曜日だったんだなあ。
内容は正直覚えていません。ただ、その日前列は、のちに私が担当となる村上さんと、マルちゃんでした。
印象としては、村上くんと丸山くん、こんなに仲いいんだなー、という感じ。ボケのマルちゃんとツッコミの村上くん。芸人みたいな上手さだな、この2人はきっととても仲良しなんだろうな。そんな印象を持ちました。
ジャニーズに対する知識なんて、かつてKATーTUNのプチファンみたいなことをやっていたニワカジャニヲタもどきみたいな程度の、つまり単なるお茶の間程度の知識で、メンバーの名前がかろうじてみんな聞き覚えあるぞ、ぐらい。根っから大阪だいすき大阪人なので、好きやねんとおばロクをカラオケでよく歌っていたかな程度の好き、でした。
気になることは調べるタチの私。「関ジャニ 村上 丸山 仲良し」「関ジャニ 村上 仲良し」「関ジャニ 村上 トーク」調べるでしょ。まず、エイトさん話に頻繁に出てくるヒナって誰だよ、って。なりますよね。ニワカだもん。
最初、ヒナ、ってヤスくんとか、内さんのことなのかなとか思っていたんです。可愛い系だろって。すぐに知りました。村上さんのことだって。理由も。雛形あきこに似てる。雛形あきこに似てる…?????????
えっ…????????????
よーしここは理解できないけど多分昔は似てたんだろう。そんな感じで村上さんのこといろいろ調べてみました。丸山さんも同じぐらい気になってはいたんだけど、ヒナの衝撃強すぎて、あとちょうど村上さんの27歳の誕生日を迎えるころだったのもあって、とりあえず村上さん調べました。(ちなみにJr入所当時ほんとに似ていてひたすら可愛いことには後々気づく)

村上さんのことを調べると、びっくりしたんです。仲がいいんだろうなあという印象を受けたマルちゃんじゃなくて、山ほど「ヨコヒナ」というワードが出てきたから。
ヨコヒナって、なんだ。これが私の、“eighter”への入口でした。
レコメンってヤツを2人でやってるらしいぞ。なんだそれ。ラジオらしいぞ。ラジオなんか聞いたことねえぞ。文化放送って1134らしいぞ。合わせてみたぞ。聞こえねえぞ。聞こえねえぞ!
入口はそんな感じでした。ラジオなんて聞いたこともなかったもので、文化放送は関西では聞けないんだよ、ってことに気付くのにだいぶかかりました。
レコメンが聞けなかったので、毎週レポを読みました。ジャニ勉を観ました。過去のレポとかも漁りまくりました。だって分からなかったんです。古参のeighterさんがみんな口を揃えて、「ヨコヒナは特別」って言う理由が。
その頃にはおそらく、村上さんのMC術の虜でした。元々大阪人なのでトークの上手い人が好きでした。その中でも、無茶なトークを上手くまとめる名MCが好きだったので、エイトさんの中で村上さんに惚れてしまったのは当然だったのかもしれない。だから余計に、村上さんを知る上で、ヨコヒナの特別感を理解できないことが悔しくて、エイト史を、知れるだけ知ろうとしました。レポを漁り、動画を漁り、ライブDVDを買いました。
その頃のヨコヒナは、今よりもっとビジネスパートナーチックで、仲悪いのかよってぐらい、普段遊ぶどころか楽屋でも話すなんてなく、私の目に映る当時のヨコヒナからは、その特別感なんて欠片も見えなかった。普段はまるちゃん某後輩くんとずっと一緒にいて、すばるさんと時々幼馴染みみたいな雰囲気になって。ヨコヒナは、ただのビジネスパートナーのように見えていた。
それが見え始めたのは、過去を知ろうとしてから。過去のCDを聞き、DVDを見、たくさんの動画を漁り、たくさんのレポを読み。
そのころ既に干支一回り以上をともに過ごしていたヨコヒナ。関西Jrの不遇の中Jr黄金期を経て、その終わりを迎えて、松竹座時代を経験して、メンバーの脱退があって、ようやくグループ5周年を迎えたばかりの、彼らを知ってから。
調べ尽くせるだけ彼らを調べ尽くしてみたら、ヨコヒナが特別なのなんて、当然のことだった。それは、とても不思議な感覚でした。生身のアラサーの男同士なのに、「夫婦」と表すのが一番しっくりくるなんて、体験したことのない不思議な感覚。
とりたてて仲が良いわけではない。でもそれは決して仲が悪いことを意味しない。プライベートで一緒になんて全然いない。なのに誰よりもお互いを理解している。誰よりも村上さんを貶す横山さん。そのくせ誰よりも村上さんを認めている横山さん。レコメンやライブのMCでだけ、軽快にトークを交わす2人。そんな2人を、見て喜ぶ他のメンバー。
ヨコヒナの会話はまるで、熟年離婚の危機かと思っていた両親が、手を繋いで微笑むところを見たときのような。ヨコヒナのかつてのエピソードはまるで、何故結婚したのかも分からないほどドライな両親の、デートの話を聞いたような。

高校を卒業し、年度の変わる4月頃には、そんなヨコヒナの言いようのない魅力にとりつかれていました。
端的にヨコヒナの何が一番好きかと言えば、トークです。大して面白くもない話を、爆笑話に変えられる横山さんと、ともすればぐちゃぐちゃになりがちな爆笑話を、上手いこときれいにまとめられる村上さん。でも、その背後に見え隠れする、互いの信頼とそこに至るまでの歴史が、ヨコヒナの最たる魅力。知れば知るほど奥の深さが分からなくなる、その関係性にとりつかれてしまったんです。
そしてそのころ知った事実が、なんと我が家、KBS京都が、入る地域だということ。ちょうどレコメン全国放送3時間が流れ始めたばかりのKBS京都が、入るということ。文化放送1134じゃなく、KBS京都は1143でした。自宅のCDプレイヤー付属のラジオでは周波数が細かく設定できずほぼノイズしか聞こえなかったので、小型のラジオを買いました。
レコメンとの、出会いでした。
既にレコメンが始まってから6年弱、前身番組を含めるとそれ以上。2013年にレコメンを聞くのをやめるまでの年月より遥かに長い期間です。
私の知るレコメンの歴史は、たった4年でした。たった、4年です。
その間、たくさんのヨコヒナエピソードがあって。毎週聴ける村上さんの声は、横山さんの声は、いつも最前線の彼らを伝えていてくれて。ヨコヒナだけじゃない、グループみんなの素顔を、いつも曝け出していてくれて。毎週、毎週。生放送で、3時間。
そりゃ、私事で聴けない週もあったけれど。放送のない週も稀にあったし、インフルエンザで録音とバレた週もあったし。でも、ほぼ毎週、生放送で、3時間。
何事も飽き性で続かない私が、毎週毎週、ヨコヒナのトーク術のすごさと、ヨコヒナの特別感を聴き続けた4年だった。
それが、無くなるとき。盛大な卒業式なんてなかった。ひなさんの声が、少し震えていた。ヨコさんは、何も悲しいことはないと言うように、卒業していった。あまりに唐突だった。
私がそのとき感じた感情を何というのか、今でも分かりません。ただ、聞いたときは涙が出なかった。理解が追いつかないというのはこういうことかと、ふと思った。
悲しいといえば、悲しかったのかもしれない。もうレコメンにヨコさんが戻ってこないことが。悔しいといえば、悔しかったのかもしれない。卒業の理由を決して明かしてくれなかったことが。寂しいといえば、寂しかったのかもしれない。終わりのたった5分で見送るしかなかったことが。でも嬉しいといえば、嬉しかったのかもしれない。ヨコさんがこれで終わりじゃないと言ったことではなくて。ひなさんの声が、震えていたことが。ヨコヒナにとって木曜日の夜は特別な場所だったと、村上さんが押し殺すことができない程感じていたことが。私が勝手に感じていたその特別を、ほんの少し本当に垣間見ることができたことが。
次の週の木曜日、もう大丈夫だぞ何回も新しいレコメンシミュレーションしたぞ、とラジオをつけた。オープニングトークも終わらないうちに、ラジオを消した。
マルちゃんは大好きで。私の中のエイトさんとの出会いは、マルちゃんとひなちゃんの仲良しそうなところだったのに。レコメンという場に、ヨコさんがいないことが、耐えられなかった。それから私は、たった2回しかレコメンを聞いていない。
一度聞いたのは、何の変哲もない普通の日。いつだったのかも覚えていない。ただ、ヨコさんの卒業からしばらく経って、最後まで聞くぞ、と思って聞いた。最後まで聞いて、ああもう二度と聞けないな、と思った。最初から最後まで、横山さんのいたころと比較してしまったから。それは、卒業した横山さんにも、新しく頑張っている丸山さんにも、引き継いだ村上さんにも失礼だと思ったから。ただ、村上さんの声はもう前向きだった。マルヒナのレコメンが、そこにはあった。それは嬉しくて、なのにそれを今後聞けないだろう自分が寂しかった。
二度目に聞いたのは、レコメン、京セラ収録。収録日、なんと当たって、私は京セラにいた。(ちなみに今回のライブはそれ以来の京セラだった)
淡い期待があった。レコメンは、ヨコヒナの番組に戻るんじゃないのって。そんな期待抱いているほうが馬鹿なのに。ヨコさんが卒業と言ったのだから、戻るはずなどないのに。そんなこと、知っていたはずなのに。
全員の揃ったレコメンは、楽しかった。ただ、ヨコさんだけが、いつもと違う雰囲気だった。楽しくて楽しくて楽しくて、もう二度と戻らない祭りのあとの余韻のようだった。
その後は、一度もレコメンを聴いていない。村上担なのにね。聴きたくないわけじゃないんだけどね。レポなら読んだりするんだけどね。ただ、レコメンというタイトルコールに、横山さんが入っていないと気付く瞬間、指がシャットアウトすることを知っているから。

ヨコヒナのレコメンが終わってから。それまで毎週録画して視聴していたヒルナンデスも、なんとなく、見ることが少なくなりました。
木曜日なのにこの後ヨコさんはレコメンに行かないんだなあと思うことがなんだか、もやもやした。時々、リアルタイムで見れるときに見るぐらいになった。
そしてそれもまた、村上さんがヒルナンデスを卒業することで、全く、見なくなった。
村上さんの卒業回は、勇気が出なくて録画したまま一度も見ていません。編集もしていないから、まだテレビのデッキに残ったまま。
木曜日が本当に、「週の始まり」じゃなくなってしまった。

ヨコヒナのレコメンが、終わってもう4年。
私がレコメンを聞いていた期間を超えようとしている。
本人達がとっくの昔に前に進んでいるそれを、どうしてか受け入れられないなんて、ファンとしては失格かなあとも、何度も思う。だから、時間が解決してくれるまで蓋をした。何がつらいと思っているのか、何が悲しいと思っているのかも把握できないから、いつか振り返ることが出来るまで、と。

今回こうして、ヨコさんの言葉を、聞いて。
あれから4年。私の中のレコメンの時間を超えようとしている、木曜日。
振り返ることができるかな、と思って振り返ってみると。今もあのときの痛みは消えていなくて、それでも、思い出すことで涙は出なくなった。
燻った感情が何なのかは、まだはっきり分からない。けれど、あのとき感じた痛みは、悲しくて、悔しくて、寂しくて、そして少し切ない嬉しさだったこと。
はっきりとは言いきれないけれど、この感情に名前をつけるなら、やはりこれは、愛おしさ、なのだと思う。
私が出会った「ヨコヒナのレコメン」への、愛おしさ。
それはきっとただの執着心で、本人達はもっと前に進んでいて、ただの迷惑なのかもしれないけれど。
ヨコさんが「レコメン」と言わなかったことを、心の中で咀嚼すると、目頭が少し熱くなる。ヨコさんの中では、他の人に引き継いだ「レコメン」としての認識ではなく、もうとっくに終わった「村上さんとやってたラジオ」だったのだなあと。
そう思うと、なんだか少しだけ、心の蓋を開けてもいいような気がする。私が愛おしさを感じる「ヨコヒナのレコメン」は、他の人に引き継がれたのではなく。ヨコさんは、ちゃんとあのときに、「ヨコヒナのラジオ」を終わらせてきたんだな、と。
ああ、もしかすると私は、「ヨコヒナのラジオ」が踏みにじられたような気がしていたのかもしれない。ヨコさんもヒナさんもレコメンのスタッフさんも後を引き継いだマルちゃんもBADの2人も大好きで、だから気付かなかったけれど。
私の中の「ヨコヒナのラジオ」は本当になんとも言えない特別なもので、それを、誰かが引き継げるはずもないのに引き継いでしまったから。「続き」なんかではないはずなのに、「続き」になってしまったから。
「ヨコヒナのラジオ」を踏みにじられたような、そんな気がしてしまっていただけなのかな。

あれから私はレコメンを聞いていないから、人伝だけれど。ヒナさんは、レコメンで一度も「こんばんワンツー」と言っていないと聞く。
ヨコさんは、「村上さんとやってたラジオ」と言う。
ああ、もしかするとヨコヒナ自身も、「続き」だとは思っていなかったのかな。ちゃんと、「ヨコヒナのラジオ」をあのときに終わらせてきていたのかな。だから、声の震えていたヒナさんも、とっくに前を向いていたのかな。
思い出しても涙は出なかったのに、そう考えると、涙が出てきた自分が笑えます。
私はただ、私が愛おしいと思った「ヨコヒナのラジオ」が特別だったと言ってほしかっただけなのかな。ヨコヒナにとって「ヨコヒナのラジオ」は特別だったと、思ってほしかっただけなのかな。
ヨコヒナの気持ちなんて、私たちにはわかるはずもなくて。それでも、ヨコヒナってなんだかやっぱり特別だなあと思う。その根底には、かつての「ヨコヒナのラジオ」があったなあとも。

ヨコさんの言葉の何が引っかかったのか分からなくて、とりとめもなく振り返ってみたけれど、振り返ってよかったなあと思う。ただの自己整理でしかなくて、人に見せるものではないのかもしれないけれど。
今の私は、もしかすると、今のレコメンを聞いても大丈夫かもしれない。指が勝手に停止ボタンを押すことも、ないかもしれない。
そうだなあ。やっと、あの日のレコメンを、受け入れられているのかもしれない。
この気持ちを、やっぱりどこかに記しておきたいなと思う。ブログって、便利だな。

もうすぐ、ジャニ勉の2/∞で、ヨコヒナロケがあって。
もうすぐ、月曜から夜ふかしに、ヨコさんがゲストで来る回があって。
出会ったころに26歳だった村上さんは、もうすぐ35歳の誕生日を迎える。
今のヨコヒナの形は、あのころからはだいぶ変わっていて。今のエイトさんの形も、ヨコさんも、ヒナさんも、あのときとは変わった。
あのときからずっと燻り続けていたあの感情が、一気になくなることはないけれど。今の彼らをしっかり目に焼き付けておこうと、今一度改めて思う。
そう思えるようになった。それが、ちょっと嬉しい。